自己紹介

誕生

1983年2月11日宮城県仙台市生まれ。
生まれてすぐに神奈川県川崎市へ引っ越す。
両親は仙台生まれ・育ちで、父は自然好きの釣りキチ、母はキレイ好き、明るい姉が1人。

幼稚園時代(川崎たまがわ幼稚園)

幼稚園の頃は近所で捕まえたカエルやカナヘビで遊ぶ。残酷遊びをしていく中で、蚊を手のひらで潰してじっくり見たときに必死でもがいている蚊を見てから、無駄に殺すのを止める。

小学校時代(川崎市立末長小学校 → 吹田市立豊津第一小学校)

小学校の敷地内で友達とヒキガエルを触ったり、公園で毛虫に石を投げて被れたりしていた。仙台の田舎に帰った際に、ヤマカガシを見た祖母が「ヘビは神様の使いだから触ったらダメ」と言ったのが記憶に残る。
小学校高学年に入り大阪府吹田市に引っ越す。
休みの日は友達と公園でブラックバス釣りをしたり、家族と川で遊んだり、海へ夜釣りへ行く。里山でシマヘビを触ったときの、すべすべした手触りが強く記憶に残る。祖母から聞かされていたイメージが覆される。

中学校時代(吹田市立豊津中学校)

中学生時代は部活動の卓球をやりながら漫画とゲームにはまる。
美術部の課題で「動物を描け」と言われて、リアルなシマヘビを描いて浮いてしまう。
動物=哺乳類、ヘビ=嫌われ者というメディアの図式に疑問を抱く。
休みの日は相変わらず家族と夜釣りへ行くことが多いが、自然より漫画とゲームに費やす時間が多くなる。
中学校後半で手塚治虫の漫画に出会う。

高校時代(大阪府立吹田東高等学校 → 川崎市立高津高等学校)

高校1年は手塚治虫の漫画を読み漁る。
高校2年で神奈川県川崎市へ再び引っ越す。休みの日はゲームばかりで釣りに行くことが少なくなる。
高校3年の頃に犬を飼い、休みの日の活動目的に犬の散歩が付随するようになる。

専門時代(東京環境工科専門学校 野生生物調査学科)

1年間の浪人時代を経て、2年制の専門学校に入学する。
最初に話した友達と高尾山に行って、今までの自然好きと言っていた自分の知識の無さを思い知る。当時は鳥の名前もほとんど知らなかったが、鳥以外の生き物もいろいろ教えてもらう。
専門では年に数回の野外実習があり、協働作業を通じて多くの友達ができた。休日も友達と野外に出掛けて生き物を観察する。
西東京で調査・保護活動をする団体のお手伝いをしたり、東京港のグリーンボランティアをしたり、生き物の調査をしているいろいろな団体の催し物に積極的に参加する。

民宿でカッコつけセルフ撮影が流行る

自然公園財団時代(自然公園財団 十和田支部)

専門学校卒業後は、青森県の十和田湖で国立公園の管理バイトをする。
管理バイトは、アラシックス(60歳周辺)のおじさんたちで構成され、そこに自分と友達の2名が送り込まれる形だった。おじさんたちは、十和田湖の麓の街(青森県十和田市、秋田県小坂町)からやってきており、初めのうちは南部弁・秋田弁の2か国語の壁に苦しむ。足掛け2年で、ヒアリング力も向上し、冗談も言い合える仲になる。

北八甲田の大岳登頂記念

自然環境調査員時代(株式会社CTIアウラ)

財団の雇用期間が終わった後は、警備員やエアコン部品の組み立てバイトをやりながら小遣い稼ぎをする。半年程そんな暮らしをしていたら、友達に「久しぶりに環境調査やってみない?」と誘われて行ったのがCTIアウラだった。そこからはとんとん拍子で、当時の動物班班長に「バイトで常駐してみない?」と言われて通うようになり、当時の部長に「社員になってみない?」と言われ社員になった。現場が好きだったので、当時は天職だと思い、深く考えることも無く現場を詰め込みまくった。
一つ目の転機が2009年。恩師に誘われたマレーシア旅行中、夜の探検で毒蛇(キレイな蛇だった)を掴みオーストラリア人に青ざめた顔をされたとき。いつ死ぬか分からない・言葉も通じない海外の経験で「伝えられるときに伝えるべき」という意識が根底に根付く。
二つ目の転機が2011年。新支社(仙台)の立ち上げメンバーに選ばれて2年目。東日本大震災が起こり、いつ死ぬか分からないという体験の中で「やりたいと思った時にすぐやるべき」という意識が大きくなる。震災後は、仕事の量も激増したが「すぐやる」を心掛けて切り抜けた。

このときはまだ毒蛇と知らず

独立のきっかけ(合同会社アルコ)

支社から本社に戻ったのが2014年、新しく住み始めた埼玉の坂戸市では地元で生物調査をしたいと思い、比企ワシタカ研究会へ入会する。会長は、昔から地元で生物調査をしている方で、経験として生物の変遷から歴史を語れることに尊敬する。
将来は奥さんの実家である館山市で仕事をしたい考え、友達が仕事としていた獣害対策+自分がやっている環境調査の道を調べ始める。獣害対策の講習会や研修会に参加して行く中で「対策の一番の問題は、集落の力が弱まっていること」を知り、地域振興の勉強も始める。
獣害対策では千葉県で対策を専門としている会社でお世話になり、そこでのアルバイト経験や対策機関とのネットワークを繋げていき、アウラ在社中に奥さんの実家を事業地にして会社を立ち上げる。

定点調査風景。1日中観察。

アルコの由来

会社の名前の由来は「安房いきもの相談所」の英語読み「Awa Life Counseling Office」の頭文字を繋げて「ALCO」とした。
将来的には館山市だけではなく、安房地域(館山市、南房総市、鴨川市、鋸南町)での鳥獣被害対策支援を行う会社が必要と考えていたので、「安房」を頭に付けた。
「いきもの相談所」は、何をやっているかが分かりやすい名前が良いと思い。
あとは、自分がお酒好きなので「アルコール」と掛かっていたのも偶然で面白いと思った。

ビール党

アルコの将来と地域おこし協力隊の採用

「将来的には安房地域で地域振興もしたいので、地域コミュニティを繋げる支援もしたいと考えています。私は寄り合いのような、集落での集まりを再構築することが、獣害対策を行う上での近道と考えています。今まで得た経験・これから得る知識は、そのために使います。」

上記を書いたのが、2018年の3月末。
それから、館山市で地域おこし協力隊の募集が始まり、応募・面接を経て、採用が決定した。
そして、6月から地域おこし協力隊としての活動をスタートさせ、現在に至っている。
人に恵まれていること・タイミングが良いことは前々から感じていたが、改めて実感した出来事だった。

お世話になっている方々にこの場で感謝を述べさせていただきます。いつもありがとうございます。
また、安房神社の神様にも会いに行く度に「安房地域で頑張るので見ててください」と毎年の初詣で誓ってきましたが、追い風を与えてくたことを感謝しています。
今後ともよろしくお願いいたします。